Superb Garbages 2

千野純一(chinorin)のはてなダイアリーの続きです。

  • コメントのレスをするために考察していたら、なんか思ったより大きな知見が得られたので記事にします。

ひまじん 2018/09/06 09:25
しろうとな質問ですが、楽曲の中で倚音的なものが
少なければ目立ってアクセントになる、
逆に多ければそれはそれでまとまった流れになる、
という感じなんでしょうかね?

  • 確かにそういうところもあるかもしれません。音楽は「緊張と緩和」(音楽用語で言うとテンションと解決)でできています。緊張度の高いままで推移してあまり緩和しない曲は、それはそれでまとまりがあるように聞こえる場合があるかと。
  • それとは別に、「瞳の中のファーラウェイ」の構造について。
  • 1というのが最高に緩和した(安定した)コードなのですが、Aメロに登場する1には必ず倚音を配置して緊張を高めており(Aメロ最後の1では伴奏で倚音が鳴ってる)、とにかくサビまでは安定感を絶対に与えまいという意思が感じられます。その一貫した「安定感のなさ」をサビの最初で劇的に緩和させて盛り上げる、というのがこの曲の構成のキモなんですね。
  • ところで、音楽には「緊張=盛り上がり」という考え方がありまして、これにあまり疑問を持ったことがなく、無意識にすり込まれている感覚です。でもこの曲は、一番盛り上がるところに緩和を持ってきており、それに違和感はありません。この齟齬の正体は何なのか。ちょっと考えたらわかりましたが、これは……音楽分野における自分のアイデンティティに関わる大きな発見でした。なんでこれに気づかなかったんだ。こんなこと誰も教えてくれなかったぞ。w
  • ざっくり言うと、「緊張=盛り上がり」というのはロマン派以降の考え方だということ。古典派以前はえてして、緩和するところに一番の盛り上がりをもってくるみたいです。(もちろん、どちらも例外はあるでしょうが)
  • 私の大好きな作曲家で、古典派〜ロマン派端境期に活躍したF.メンデルスゾーンの楽曲を例に出します。w

  • ダイナミクスがものすごく大きいので音量注意)「真夏の夜の夢 序曲」です。メンデルスゾーンの作品はOp.121までありますが、これはOp.21なので比較的初期の、つまり古典派傾倒の作品と言えるでしょう。イントロの4和音が終わった後はずーっと緊張してますが、1:12の解決でこれでもかというくらい盛り上がります。このときの最初のコードは一点の曇りもない純粋な1。

  • こちらは「チェロとピアノのための無言歌 ニ長調」。Op.109ですので比較的後期の、つまりロマン派傾倒の作品と言えます。2:22あたりからが緊張していくのが一番の盛り上がりどころで、例えば2:40あたりの小さな解決(このとき一時的に短調になっているのでコードは6mですがこれは短調にとっての1です)は尻つぼみ……というと言葉が悪いですが、さらっと済ませているのがわかると思います。この大きな緊張の流れは3:20頃に終わりますが、しっかりと解決している感じはありません。
  • とても主観的な感覚で言いますが、これは古典派が衰退してロマン派が勃興した理由のひとつであることは確実だと思います。ロマン派以降の音楽に慣れた後に「緩和=盛り上がり」の曲を聞くと、何だか古くて工夫のない、ベタな、盛り上がりに欠ける曲みたいに感じてしまいがちなんですよね。で、その流れは現在まで続いている、と。
  • 私は基本的に古典派の楽曲が好きです。荘厳・華美などと評される一方、嘲笑まじりに「育ちのいい音楽」と揶揄されるのがちょっとだけコンプレックスだったのですがw、こういった構造的・理論的な根拠みたいなものを知ることで、ちょっとだけ自分の好みに自信が持てる気がします。古典派の良さを説明するための材料のひとつになりますし。
  • ここで唐突に元の話題に戻りますが、「瞳の中のファーラウェイ」に感じる「まとまった流れ」とか「盛り上がりのツボがなくて淡々と進む」というのはもしかしたらこれではありませんか?
  • ちなみに、解決したサビで大盛り上がりする曲として真っ先に思い出したポップスがこちら。

  • ハウンドドッグの「ff」。サビはずっと1です(正しくは色々あって、別の緊張も生んでいるのですが超ざっくり言ってます)。本当の愛を力強く主張する、というベタなテーマに合った展開だと思います。逆にここまでやると清々しいものを感じますね。
  • あーーー、もしかして、一般的にはサビよりもBメロの方が盛り上がってると感じるものなのでしょうか。音程もBメロの方が高いしなあ…。だとするとやはり私の感覚は、一般的な感覚とはかなりズレているのかもしれません…。